大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成元年(う)99号 判決 1989年5月17日

主文

本件各控訴をいずれも棄却する。

当審における未決勾留日数中各九〇日を被告人らに対する原判決の各懲役刑にそれぞれ算入する。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人唯根大三郎名義(被告人A関係)及び弁護人尾﨑陞、同清宮國義連名(被告人B関係)の各控訴趣意書に、これらに対する答弁は、検察官山崎基宏名義の各答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

一、被告人Aの控訴趣意第一及び第二点(事実誤認等の主張)について

所論は、要するに、「原判決は、被告人A(以下、単に、被告人Aという。)が、被告人B(以下、単に、被告人Bという。)、C(以下、単に、Cという。)らと共謀の上、営利の目的で、麻薬の密輸入を企て、被告人Aにおいて、ヘロイン約三六一五・二グラムをタイ王国から本邦内に持ち込んで密輸入等した旨認定しているが、1被告人Aには、自己の運搬したバッグ及びブリーフケースにヘロインが隠されていたことの認識がなかった上、このヘロインを本邦へ運び、被告人Bに渡すなどの共謀をCらとしたこともないから、被告人Aは無罪であり、2仮にそうでないとしても、同被告人の所為は従犯にすぎない。3同被告人の捜査官に対する供述調書や原審公判廷の供述中には、本件犯行を自白しているかの如き記載が存在するが、通訳の不適切等のために同被告人の真意が正しく伝えられておらず、このことは原審公判廷における同被告人の供述記載からも窺知されるところであって、これらの自白は措信すべきでない。しかるに、原判決は、審理不尽により右信用性のない自白に基づき事実を誤認したものであって、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れない。」というのである。

そこで、記録を調査して検討するに、原判決が挙示する関係証拠(なお、原判決の「証拠の標目」の項の被告人Aの検察官及び司法警察員に対する供述調書中昭和六三年九月一二日付けのものは、検察官に対する供述調書であると認められる。)を総合すれば、原判示「罪となるべき事実」が十分に認められ、とりわけ、右証拠によれば、被告人Aは、Cの誘いに応じ、家族の半年余の生活費に相当する二〇〇〇米ドルの報酬をもらう約束で、麻薬をバンコクから東京まで運搬する仕事を引き受け、以後、行動を共にするCの指示等に従ってこれを実行し、本件ヘロインを本邦内に持ち込んだものであること、同被告人には、運搬する麻薬の種類についての明確な認識こそなかったものの、これがヘロインやコカインであるかも知れず、それでもよいという認識、すなわち、ヘロインであることの未必的認識があったこと、同被告人はC及びDことE以外の仲間についてよく知らず、東京まで運搬した麻薬のその後の流通過程等についても知らされていなかったが、Cにおいては、本件が通称Fらの計画したもので、東京に持ち込んだ本件ヘロイン等は、同人の指示に従い、東京で待機中の被告人Bらに引き渡されることなどを知りながら、この計画に参加したものであり、また、被告人Bにおいては、Fらから報酬を受ける約束で、東京に待機した上Cからの連絡により、持ち込まれた本件ヘロイン等を受け取る役割を分担したものであることなどの事実が認められる。したがって、被告人Aの本件ヘロインについての認識に欠ける点はなく、また、同被告人と被告人B、通称F、Gらとの間には、直接共謀した事実こそないものの、Cを介して、いわゆる順次共謀が成立し、被告人Aはこの共謀関係に基づいて本件ヘロインを本邦内に持ち込んだものというべきである上、被告人Aは本件ヘロインの本邦への密輸入の実行正犯者であって、その旨判示した原判決に誤りはなく、同被告人を無罪若しくは従犯とする所論には理由がない(所論が同被告人を従犯とみるべき証左として縷々指摘するところは、結局、数名の共同正犯者の中で同被告人の地位が低く、その役割も運び役に止まった、というに帰着し、量刑上斟酌される情状に過ぎない。)。

ところで、所論は、被告人Aの捜査官に対する供述調書及び原審公判廷の供述(自白)について、通訳の不適切等のために同被告人の真意が伝えられておらず、信用性に欠ける、というのであるが、捜査段階及び原審公判段階における同被告人の関係供述の記載内容を仔細に検討すると、同被告人は、捜査官の取調べや原審弁護人らの質問に対し、Cからの誘いに応じて本件犯行に参加した事情、その後の自己やCらの行動等に関してかなり詳細で具体的な供述をしており、しかも、認めるところ、否定するところ、知らないところなど、同被告人が真意を吐露していることが窺えるのであって、その中には、麻薬の数量については全く判らなかったこと、FらとCとの大切な話し合いの場からははずされていたこと、日本に持ち込んだ麻薬がどのように取り扱われるかは知らなかったことなど、同被告人にとって利益と解される弁解も多々含まれていること、これらの供述については、捜査段階以降合計四名の異った通訳人が関与しているところ、これらの供述内容はおおむね一貫していること等を併せ考えると、微細な点については格別、自己が運搬する荷物に対する認識など最も重要な部分について所論のような通訳の不適切等があったものとは到底考えられず、原審が更に職権証拠調べ等をすべき情況であったとも認められない。この点に関して、所論は、原審公判廷における被告人Aの供述中にはちぐはぐな点が少なくないというのであるが、その大半は、同被告人が罪責の軽減を期待して回避的答弁をしたためと解され、これをもって通訳不適切等の有力な証左とみることはできない。

そうしてみると、原判決の事実認定は正当であり、さらに記録を精査し、当審における事実取調べの結果を加えて再検討しても、原判決に所論のような事実誤認等は認められない(なお、当審取調べの被告人A名義の三通の書面及び同被告人の公判供述中には、所論に副う部分が存するが、たやすく信を措くことができない。)。論旨は理由がない。

二、被告人Bの控訴趣意第一点(事実誤認による法令の解釈・適用の誤りの主張)について

所論は、要するに、「原判決は、被告人Bが、被告人Aらと共謀の上、営利の目的で、麻薬の不正輸入を企て、同被告人において、合計約三六一五・二グラムのヘロインをタイ王国から本邦内に持ち込むなどした旨認定し、これがヘロイン密輸入罪等に該当するものとして、麻薬取締法六四条二項、一項等を適用しているのであるが、被告人Bらは、日本を単なる中継地とし、アメリカ合衆国内に持ち込んで密売するために、本件ヘロインを本邦内に搬入したに過ぎず、日本国内における社会秩序の維持と国民の保健衛生を害するおそれはなかったのであるから、同法条項所定の『輸入』とはいえないものである。原判決は、事実を誤認し、ひいては法令の解釈・適用を誤ったものであって、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄を免れない。」というのである。

そこで、記録を調査して検討するに、原判決挙示の関係証拠によれば、原判決が「罪となるべき事実」として認定判示している事実は優に認められるところである。被告人Bらが、最終的には、本件ヘロインをアメリカ合衆国に運び込むつもりであったことは、関係証拠に照らして明らかであるが(原判決においても、これを認めており、「量刑の理由」においてその旨説示している。)、麻薬取締法一二条一項にいう「輸入」とは、我が国の統治権が現実に行使されていない地域から、我が国の統治権が行使されている地域に搬入する行為をいい、たとえ、その搬入が一時的なものであっても、また、統治権が行使されていない地域への搬出を予定したものであっても、「輸入」に当たるものと解するのが相当であるから、原判示の持ち込み行為が営利目的によるヘロイン密輸入罪に該当することは否定できない。

そうすると、原判決に所論のような事実誤認等による法令の解釈・適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

三、被告人Aの控訴趣意第三点及び被告人Bの控訴趣意第二点(いずれも量刑不当の主張)について

各所論は、いずれも、要するに、仮に両被告人が有罪としても、原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討するに、本件は、被告人らが、通称Fほか数名の者と共謀の上、営利の目的で、約三・六キログラムのヘロインを本邦に密輸入等をした、という事案であって(関税法違反の点は未遂)、罪質が極めて重く、かかる多量のヘロインが人体に及ぼす保健衛生上の危害その他の社会的悪影響は計り知れないものがあること(ちなみに、検挙事例からみたヘロインの一回の使用量は、〇・〇〇六グラムないし〇・〇〇八グラムというのであるから、本件のヘロインの量は、実に六〇万回ないし四五万回の使用分に相当する。)、本件は、F、Gらを中心とする国際的麻薬犯罪組織による極めて組織的、計画的な犯行で、被告人らは報酬欲しさからこれに加わったものであって、動機に酌むべきものがないことなどに鑑みると、本件ヘロインはアメリカ合衆国に運び込まれることになっていて、本邦内に流通させることを企図した事案ではないこと、本件ヘロインが税関段階で押収されたことにより、害悪が拡散されずに済んでいることを考慮に入れても、被告人らの刑責は、相当に重大といわなければならない。

そして、さらに、被告人らの個別的情状を加えて考えるに、(1)被告人Aは、二〇〇〇米ドルの報酬(後払い)欲しさに、Cの誘いに応じて、本件ヘロインをタイ王国から本邦に運ぶ役を果たしたもので、いわば組織末端の運び屋であること、本件ヘロインについての認識も未必的なものであったこと、前科がないこと、本件を反省していること、その他同被告人の家庭の事情等弁護人指摘の諸点を十分に斟酌してみても、同被告人を懲役七年及び罰金二〇万円に処した原判決の量刑は、まことにやむを得ないところであって、重過ぎて不当であるとまでは認められない。(2)被告人Bは、二万米ドルの報酬(後払い)で、タイ王国から本邦内に持ち込まれたヘロインをアメリカ合衆国に運ぶことを引き受け、本邦内に待機して本件ヘロインを受け取ろうとしていたものであって、同被告人は、従前よりF、Gらを中心とする国際的麻薬犯罪組織の構成員として重要な役割を分担していたものとみられること(したがって、被告人の役割を所論のいうように、単なる運び屋として軽視することはできない。)、前科がないこと、本件を真剣に反省しているとみられること、その他弁護人指摘の首肯できる諸点を十分に斟酌してみても、同被告人を懲役九年及び罰金八〇万円に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとは認められない。各論旨はいずれも理由がない。

以上のとおりなので、刑訴法三九六条により本件各控訴をいずれも棄却し、刑法二一条を適用して、当審における未決勾留日数中各九〇日を被告人らに対する原判決の各懲役刑にそれぞれ算入し、なお、当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項但書に従い、被告人らにはこれを負担させないこととする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 朝岡智幸 裁判官 堀内信明 新田誠志)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例